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令和6年7月27・28日開催

和納十五夜祭り

200年続く伝統の祭り

和納十五夜祭りの5つの特長

格式十万石と謳われたこのお祭りには5つの特長があります。

​綿々と受け継がれてきた伝統の儀式です。

❖草花火

仕掛花火・草花火

 和納十五夜祭りといえば草花火が有名です。地元花火方が竹筒に火薬を詰め込んだ手持ちの草花火を、火の粉をかぶりながら次から次へと吹き上がらせます。この草花火を作り上げるのは、半世紀にわたり花火を作り続ける生粋の【花火男】といわれる花火方の親方です。火薬を仕込む竹筒を自ら切り取り、使える部分だけを厳密に選別し丁寧に仕上げていきます。

 手持ちの草花火以外にも滝のように火の粉が流れ落ちる仕掛け花火や、火花を噴き出しながら綱を渡る花火神輿なども一手に手掛けています。

 目の前で吹き上がる火の粉が夜空に舞い上がると、祭りの最高潮と共に夏の終わりを感じる風物詩です。

❖棒遣い

棒遣い

 十五歳以下の少年たちで結成される棒遣いもまた、祭りの奉納演武として欠かせません。

 神輿が神社を渡り歩く際、先頭に立って露払い役を務めています。演武で行われる武術により、道中の邪気を払う役目があります。

 もともとは、地域の福成寺の住職が武術の達人であり、近所の子供たちを連れて当時剣術に力を入れていた三根山藩に出向き、剣術を教えたことが始まりとされています。

 現在では新潟市の無形文化財に指定されるなど、これからも伝統を受け継いで地域を盛り上げていってほしい存在です。

❖拍子方

拍子方

 草花火を上げている間中、笛や太鼓で祭囃子ならぬ花火囃子を演奏します。これは全国的に見ても大変珍しいことのようです。この花火囃子には言い伝えがあります。

 昔、二人の浪人がこの地に流れ着き、この村の楞厳寺に身を寄せ、願って寺の和尚の弟子になったということです。

 ある晩、人々が寝静まってからこの浪人が笛を吹き、そして夜な夜な続いたということです。

 この笛の音を和尚が聞き、なんともめずらしくも素晴らしい調べだろうと大変に感心しまして、この二人は唯者ではないと思い、ひそかに丁寧に身の上などを尋ねました。

 二人の弟子の僧は和尚の情けある言葉に感じ入り、涙ながらに身の上を打ち明けました。

「初めて本当のことを言いますが、私どもは元は平家の武士でしたが、負け戦の末に苦労を重ね落ちのびてこの地にたどり着きました。あなたの厚いお情けに助けられ今日まで弟子にしていただき大変お世話になりました。」

「今、吹いたこの曲は平家に伝わる秘曲で、京都の祇園には今もこれと同じ調べが伝えられております」

 和尚はその事情を聞き、調べの素晴らしさに打たれましたので、村の人たちにぜひこの曲を教えてくれるように頼みました。  二人は和尚の恩義に報いる気になり、こころよく承知をして、くわしく伝授してくれました。

 その時に伝授された曲がずっと伝えらて、花火打ち上げの拍子になったとのことです。

 拍子方の笛と太鼓の音は、祭りの雰囲気を一層盛り上げてくれています。

祭りの様子

❖神楽舞

神楽舞

 祭りの奉納演舞に欠かせないのが神楽舞です。獅子の顔をした神楽で悪霊払いの舞を東西南北の四方で舞い、無病息災を祈念します。

なんとしようす

前に立ったるは天照皇太神宮の八幡は (払いの対象の名を読み上げる)

の悪霊払い

悪魔払うたらしっかり舞い上がれ

この口上を読み上げ悪霊払いを行います。お年寄りから子供までこぞって神楽の前に集まり無病息災を祈念する、大変人気があるのがこの神楽舞です。和納の神楽は大正十年頃に和納の若者たちが旧巻町の阿尻 (当時は阿尻村)から習ってきたもので約百年の歴史があります。

❖神輿渡御

神輿渡御

 この祭りの 主神事である神輿渡御です。以前は祭りに白木作りの真新しい神輿を作り、一晩で壊してしまうという習慣でしたが、造営費が莫大になるため、江戸末期に当時の割元が、現在の神輿を京都から買い求めました。

その後、宵祭(祭りの初日)の午後から上のお宮(三社神社)を出発し、下のお宮(住吉社)で一晩を明かし、翌日、上のお宮に戻るという神輿渡御が始まりました。  現在では一日で神輿渡御を終わらせますが、神輿が練り歩く道沿いには多くの人が押しかけ、かつては格式十万石と謳われた行列に手を合わせたり、お賽銭を上げたりと伝統ある神事が脈々と受け継がれています。

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神輿渡御
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